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水車の形式
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流量は少ないが落差のとりやすい場所に用いられる。水受けに溜まった水の重量で回転する。
水輪の幅は小さく、水を溜めるために底板がある。 |
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落差はないが、水量のあるところに使用される。水輪の幅が広く、底板はない。
起動力を得るには水輪の直径または幅を大きく作ればよい。 |
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碓の水受けをくも手の先端に偶数個取り付けたようなもので、落差があっても水量が少ない場合に使用される。回転は間歇的であるが、水受けは装置全体から見ると大きく、2、4個などのものがある。 |
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落差が上掛水車と下掛水車の中間ぐらいで、水量の多いところに使用される。
水の流速と重量によって回転するもので、底板には隙間がある。 |
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灌漑や池などの水汲みに使用される水車で、水輪の周辺には多くの筒が固定されている。構造は簡単なものが多く、材料も竹などありふれたもので作られている。 |
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里芋などを洗うのに使用されるもので、胴の3分の1ぐらいを流れにひたし、大きさは直径40センチメートル、幅60センチメートルぐらいである。割竹と羽根板によって構成されている。 |
文明は粉づくりから
〜臼の進化〜
今から約1万年前、氷河時代が終り、人類の活動が、にわかに活気を帯びてきた。新石器時代のはじまりといわれる頃、人類は、もはや、狩りや採集に頼っていたのでは、生きてゆけなくなってきた。そこで手をつけたのが、いままで鳥などしか食べなかった草の実だった。
この草の実を食べるのに役立ったのが、旧石器時代には大して注目されなかった叩き石と磨石を利用する粉砕法だった。草の実は、かたくてまずい皮に覆われている。これを取り除く必要があった。粉にくだいてから、皮の部分を風で吹きとばす精製法の発明である。
原始的な叩き石と磨石(図1)の次の段階は、搗き臼(杵と臼)である。この発達に人類は数千年を費やし、そしてエジプト文明が成立した。この過程で衝撃粉砕(杵と臼)と、磨砕とがはっきり分化し、現代へとつづいているのである。
〜回転式石臼と水車〜
(図2)は日本に残る伝統的な石臼である。そのルーツは何とローマ帝国以前のヨーロッパにあることは意外に知られていない。日本に伝来するのは長い道のりを終えて伝わりその原型を今日にとどめている。今日までに知られている世界最古の石臼の遺物は、古代オリエントのウラルトウ王国の遺跡から発見されている。
(図3)紀元前1270-750年にトルコ東部、ヴァン湖に近い山岳地帯にあった王国で、農耕や金属の技術も相当に発達しアッシリア帝国を包囲するほどの勢力をもっていたといわれる。
これは手挽きの回転式石臼である。 |
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